コラム


●私の「きっかけ」シリーズ
     こうしてわたしは神職をめざした

青森市 廣田神社 権禰宜 出口剛 

 

「とうとうこの原稿依頼がきたか…」と少々困惑気味に筆をとっております。
というのもこのコーナー、社家でない人間にわざとスポットを当てているような気がする…

そこにあるのは会長の愛なのか、広報部長の悪意なのか、若輩者の私にはまだまだわからないことだらけで胸が熱くなります。

記憶に新しいもので高増神社の柴田さん、諏訪神社の長町さんといった諸先輩方が奉職に至るまでの心情や経緯を書き下ろしておりましたが、次はよりによってこの私…

客観的に漂うように生きてきた私の人生で、感化される人は誰一人としていないと思うのだが、
とりあえず今日の奉職に至った本題へ。

 

『床の間にひっそりと佇む古い神棚、年始の初詣、小学生の時の課外授業としての神社訪問&
境内地ザリガニ釣り』
…これらが数年前まで、私と神社の関わりの全てであった。

家の神棚に手を合わせたこともなければ、そもそも神って何?神社って何?と憶える現代の若者。
初詣はただのイベント事、神主は賽銭だけで生計を立てていると本気で思っていた過去の自分である。
もしここにタイムマシンがあり、過去の自分に「将来は神職の道に就くよ」と諭しても完全否定するに違いない。
それほど私は神仏と無縁の人間であったのだ。

振り返りたくもない過去を振り返れば、高校卒業後、東京のパソコン学校へ進学した私は、当時のITバブルの波に押され、将来はプログラマーやSEを志していた青年だった。

しかし悪友と遊ぶ楽しさを優先した結果、学業に頓挫。実家に強制送還。そうこうしているうちに母親の死…と、家族内外問わず、迷惑を尽くした人間であった。

そんな私にきっかけというか、光を与えて頂いたのが、先代の廣田神社宮司と私の祖父である。

後で知ったことだが、祖父は責任役員に就いており(※現在も)、私を神社の世界に入れてやってくれないかと先代宮司に話していた。
また、その話を聞いた先代は、このような私でも汲んで下さり「まだ若いんだから、これからどうにでもなる!」と力強く励まして頂いたこと。これらが全て有難く、私をこの道に進ませてくれた道標であると言っても過言ではないだろう。

それが約六年前の話。

雑用からスタートした当時の考えは、神様や神社の為というか、お世話になった先代や祖父の為に恩返しをするといったものの方が大きかった気がする。
それがいつしか雑用の合間に手にとった神道の本に感化され、資格取得のために京都國學院に入校し、初めて肌に触れる神道学に精神を叩き直され、辛うじて神主さんと呼ばれる立場になった今では胸を張って言える。「助力頂いた方々には感謝に足りることがない。が、それ以上に現在の私に導いて頂いた氏神様の大御心に深く感謝しなければならない」と。

何度も言うが、ただの一般人だった私をまだまだ未熟ながら多少なりともこの道に押し進めて下さったのは崇敬の念が篤い徳のある人達と、かつて何も知らなかった神様の御陰である。
人の人生や運命とは自分で切り開くものだと思っていたが、本人がそう思っているだけで、実は最初からなるべくしてなるように設計づけられているのではないかと思う今日この頃…

日々、当神社には毎日のようにお参りをされる方がいらっしゃる。
私はその方々と同じく、いや、それ以上に神職として、ある意味個々の崇敬者としても感謝=奉仕の心をもって神明に仕えていかなければならない。
氏神様を始め、この六年間で神に昇華された身近の方々の御霊に応えるためにも。


平成22年11月4日

ページトップへ


些細な連続性

トリコロール〜赤の風景〜


高級料理店で食事をする事は素敵な時間であり、「美味しかった」と表現される。

「外食」という響きは日々の家での食事とは違った特殊な特別な食事という響きを持つでしょう

「忙しくて外食」という人以外の一般的な場合です

でもそれが毎日だったとしたら、外食の魅力はなくなるでしょう

なぜなら 特別な時間 という価値が無くなるから…

それもまた一般論として理解いただけるでしょう

では特別じゃない、日常ってどんなだろう?

何を以て特別で、どうならば日常なのか?

という事について「分類」としてではなく「定義」として考えてみました…

以前、機械的に出される食事を食べるというある一定期間を過ごした事がありました。仕事上そうせざるを得なかったからです。

          おォ〜とッ 今回はもう本題に入ってますよ〜

前回の前振りの長さを反省…

確かに毎日違ったメニューが用意されるので飽きるという事は無く、食事の時間が近づくと「今日は何だろうなぁ」と考えるのが些やかな楽しみでもありました。

しかし…
だんだんつまらなくなりました。

何故だか考えました。
咀嚼しながら考えました。

不味いのか?   いや不味くない。
体調悪いのか?  いや普段通りだ。

何だろうこの薄っぺらさ…

感覚器官としての舌は確かに味を感じ取り、脳に伝えている。

完食すると満腹中枢は反応している。

でもなんだか食べた気がしない
でも間違い無く食事はしている。

少しずつ減っていく食事を眺めながら
何故か   ふと   思った…
     何故か  ほんとに ふと…

これは エサ だ。
と思った

自分が生命活動を維持するために
摂取しているエネルギー源にすぎない
自動車で言う給油と同じだ。


でも何故そう思ったんだろう

だって味はしているし美味しいけど     温かくないから
……
温まらない、気持ちがほっこりしない
味は感じているけど、沁みていかない

心に………

なぜ?

考えた…
それまでとの違いを…


作り手の顔が見えない。

誰が作っているのかわからない。

機械的に給仕場から出される食事だから。

ならば、作っている人も食べる人の顔がわからないだろう。


作り手は、誰が食べるともわからず、仕事として作る。

私が食堂に来る前に既に並べられている食事。

食べ手は、誰が作ったともわからず、生命活動の一環として食べる。

なんて非生産的で悲しげな風景だろう…


食事って何かと考えた。

家庭にあって誰が作る?

お母さんや奥さん

 誰の為に

     家族の為に

       家族ってどんな人?

           愛してる人たち。

その料理って美味しい?

そりゃぁもォ〜

どんな感じ?

温かくてサイコー

幸せって感じ

なんでかな?


作ってくれた人の愛情を感じるから



目の前の食事が、実際にはそうではないのに 冷たく 感じた。

仕事とはいえ作ってくれた人には失礼なのだけれども

食事は食材となった命や作り手の苦労に感謝して

有難く食べなければならないのだけれども

それはやはり 冷たい食事だった。



食事とは…

作る人と食べる人の顔がお互いに見えて

豊かになる

心が(愛情が)込められた食事を食べて

幸せになる

というものだと思った。

もっとロマンチックに表現すれば

料理という媒体を通して「愛」を受け渡ししている

と言える。

料理に拘っている人には「媒体」と言うと大変失礼になるので、お詫びするが、あくまでも精神世界のお話ですから

御勘弁下さい。



毎日毎日…

母親は子供に

妻は夫に

料理を通して愛情を注いでいる


そうして暮らしていくうちに、いつの間にか

母親は「慈しみ」という

妻は「優しさ」という

表現をされる…

否 そう表現したくなる人物像として心の奥の温かい処に宿るのだろう。



生活の中で、ごく当たり前と思ってしまいがちな三度の食事

その有り様と連続性により、掛け替えることの出来ないものが育まれ、家族という温かみを帯びた言葉が、本来の意味をもってくる。

素敵な事だと思った。



食堂の椅子に座り

本当に冷たくなってしまった食事を前に

そう思い

なぜか微笑んでしまった。



家に帰ろう。


男尊女卑的な意味において、食事は女性が作るもの と言う気は更々無い。

私は年季の入ったmy中華鍋を持つ料理好きである。


でも料理は女性が作るものだと思う

それは、母親にとって、妻にとって 愛情 を表現する「とっておき」の手段だと思うからである。男性の表現する愛とは、恐らく違う方法があるのだと漠然と思うのである。

愛を伝える方法として、「料理を作る」という行為は女性の方が相応しいと思う。その方が温かさや豊かさが良く伝わるし、何よりその時は女性がとても美しく見えるから…

日々三度の食事を作っている女性の方々へ…

それは日常の家事 という事だけではないはず…

それはとても素敵な事

その行為が絆を生み、家族を家族たらしめている大切な行為だと思うのです。


そして
世の男性諸君!

そこにある

愛 

を感じ取れる感性を持つべし

冬の未だ明けやらぬ寒い朝…

      クーラーも追い付かぬ夏の暑い中

           台所に立つ全ての女性にエールを送ります

      「いただきます」

           「どうぞ、めしあがれ」

               それは素敵な瞬間です…

ページトップへ



些細な連続性

トリコロール〜青の風景〜



以前、相談員として中学校に非常勤で勤めていました。
不登校生徒の対応(家庭訪問)を主として、校内には相談室が設けられ、様々な相談に対応するものでした。
先生でも親でもない、生徒にとっては人畜無害な第三者という位置付けで配置されたものでした。

平たく言うと
登校生徒にあっては   「校内を徘徊するヒマなおじさん」
不登校生徒にとっては  「そういえば学校にいたなぁ的おじさん」
という事です。

さて…
大人と子供の入り混じった成長段階の重要な過渡期である中学生です…
年回りによって荒れたり穏やかだったり本意ではなく様々あるわけで…

そんな中の3年生が荒れた年だった時のお話
                     タバコ、抜け出し、徘徊、暴力…
                                    だいたいお決まりのところは有りました…

「オレは高校へは行かないから、土方やって働くからいいんだ」

と、夏場はイキがっていた生徒も秋になり受験シーズンが迫ってくると

「やっぱり高校へ行きたい…」

と言い出します。これもお決まりパターンなのですが…
先生も心境変化した生徒の願いを叶えようと、これまでの勉強の挽回に必死になります。それはもうスゴイ「愛情」です。


ここからが本題です (相変わらず前振りが長くてスミマセン)


受験が終わりました。
結果が出されます。
現実は厳しく正直で、努力は報われ、
                     駄目なものはダメなのであります。

しかし…
受験した生徒達の平均点を見て興味深い結果が出たのです。

        ある教科だけ平均点が高いのです。

                良く考えてみたら、学級担任の教科でした…

校長室のソファーで当時の校長先生が笑っていました。

これは学級担任だから…
ちゃんとしないと怒られるから…
って事じゃぁないんだよね

はぁそうなんですか?

私はこの一年間何度も生徒の授業風景を覗いてきたよ
いろんな教科のね…

うん、確かにそうだった
校長先生のその姿は知ってます。

どれも似たような様子だったよ。
学級担任だから特別って事は無かったよ。

そうですか、じゃあなんで?
その違いはズバリ何???

授業を受ける心構えだよ。

ってさっきどの教科も同じ様子
だったって言ってましたよね?

これは生徒の無意識のレベルでの話しだよ
つまり…
一見すると同じ態度に見えるけれども
心の中では先生の方をしっかりと見ていた
先生の方を向いていた
って事だよ。

                    ん〜              
                                 深い話しですね〜       
                                             興味深いですね〜

先生というものは授業をするテクニックと
いうものを磨かなければなりません。
それは先生の務めです。

何でしたっけ…
研究授業とかって
いうのがありましたよね
他校の先生が授業を見に来る
ってのが何度かね…

そしてそのテクニックを自慢する先生も多くいます
ですが、授業を始める前の生徒との関係が
大事なんです。生徒との信頼っていうんですかね…
つまり、あの生徒たちは
一見すると聞いてないように見えていても
先生の声は耳に入っていたんですね
す〜っと入って頭に収まっていたと言うか…

それって本当ですか???

さっきも言ったように
心が先生の方を真直ぐ向いてるから
無し得る事なんですね
人って不思議な生き物ですよ

今それ言おうと思ってた!

目に見える事が全てではない
生徒たちはちゃんと聞いてたんですね
授業をしている
学担である
先生の話しをね…
ここで学担という事がミソなんです
毎日毎日関わっているんですね

でも小学校と違って
「朝の会」「帰りの会」
くらいの関わりじゃないんですか?

生徒の学校生活の殆どの時間を占める
授業と部活以外の
一見僅かな時間なんですが
毎日毎日関わっている。
生徒にとって学校生活は
「朝の会」の学担に始まり
「帰りの会」の学担で終わる
生徒たちも
色々な先生と関わるけど
そうした学校生活の中で

「自分たちが頼るべき先生は学担だ」

って沁み込んでいくんですね
言い方に語弊があるかもしれませんが

「最後はこの人なんだ」

ってね。
そうやって全幅の信頼を
寄せているから、態度とは裏腹に
授業が耳に入るんです。

いい話ですね〜
私、感動しました〜

だからね
生徒がどうしても学担の言う事を聞かず
学担が「ありゃダメだぁ〜」
って諦めてしまっても、生徒の方は
まだまだ全然頼ってて
学担が後でそれに気が付いてビックリした
なんて話しもあったりするんですよ

ほんと、日々の毎日の関わりって大切なんですよね(笑)


困難な場面や、滅多にない特殊な体験を共有
した人との間を絆と表現する事はよくある。

しかしこのように
一見些細な事のように見えるけれども、その連続性
により掛け替える事の出来ないほどの
深く強い絆が結ばれる事もある。

でも意外と
後者の絆のほうが多いのかもしれない
後者の絆の方が深いのかもしれない

また
これは「人と人」だけではなく
「人と動物」更には「神様と人」
という関係においても同様の事が言えると思う。
日々の暮らしの些細な事、実はその中に
「大切な事」や
「素敵な事」が
隠れているのかもしれない…







                                   青森県神道青年会 会長 鈴木賀暢

ページトップへ


   


                       

WEBサイト開設にあたり



                                                青森県神道青年会 会長 鈴木賀暢
この度、当会の公式ウェブサイトを開設する事となりました。
                  「とうとうここまで来る事が出来たか」
という感慨深い時を感じています。日本人は「言霊」(ことだま)という
存在を認めています。
否、認めていました。と表現される
べきなのかもしれません。
それぐらい、社会は恥じらいもなく
個人主張をする姿が溢れています。
その是非については後にしますが…



言霊とは、口から発せられた言葉に霊魂が宿り
相手に振るかかるという事だと理解して下さい。
振るかかる。故に声を「かける」と表現されます。
人を励ます時に「頑張れ」と声をかけたとします、
すると「頑張れ」というセリフに魂が宿り
(魂というパワーが宿ると言ったら解りやすいでしょうか)
相手に降りかかるので
相手はそのセリフに込められた力を得て頑張る事が出来る。
と考えます。ありがたいお話です。


しかし、これが逆であったら大変な事です。
相手を悪く言う言葉を発したら…
相手はセリフ以上にダメージを
受けているという事になります。
それが日常茶飯事に社会のあちこちで
行われていたらどうでしょうか?
社会は暗くなってしまいます。
考えただけで怖いことです。


故に…日本の国柄を「神ながら言あげせぬ国」
と表現する古い言葉があります。
言葉を発する事を「言あげ」といい、
「神ながら」はここでは神様の教えによるという意味です。
神様の教えにより
人を傷つける言葉、その場を悪い雰囲気にしてしまう言葉、
生産的や前向きではない言葉などは慎む事を
美徳とする国柄という意味です。


幼い頃、大人たちに「悪い言葉を言うな」
「汚い言葉を使うな」と良く言われたものです。
今私たちがそれを教えなければなりません。


さて…
そんな事で、敢えて言わない事を美徳と
してきた国ですから、国際社会でも必要以上の
言葉や飾った言葉を言いません、よって
「日本人は何を考えているのか解らない」
と以前は言われていたようです。

しかし、国際化が進み、諸外国と交流していく中で
日本人も敢えて言葉に出して主張するようになり
国内でも誤った個人主義がはびこり
所謂「言ったモン勝ち」的価値観が多く
見られるようになりました。
神社ではそれでも、言あげしない事を美徳と
してきましたが、社会がそれでは理解してくれなくなりました。


神社の事、神様の事などを正しく理解していただく為には、
神社もどんどん情報発信に
努めなければならない世の中です。

それを家庭で教えてくれなくなってしまったから…


ここに、我々は、清く・明るく・直く・正しく、情報発信をしていく事を、
極めて前向きに決意するのです。
神職らしい切り口で、人を引きつけ、人に正しく理解してもらう為の
表現の方法をこの公式サイトや会報を通じて訓練し、
それが神社での活動に役立てたら、
本会はその目的を十分に果たす事になるでしょう。

それが、本サイト設置に本義です。


            ごく普通に…
               批判も含めて、書いたものに感想を言ってもらう、
                           反応を示してもらえるって
                                嬉しいモンですよ… 



平成21年9月30日

ページトップへ



   

こうしてわたしは神職をめざした                
                                   青森市 諏訪神社 権禰宜 長町直季

「社家じゃない人がどうして神職を目指すようになったのか、ネタになるから書いてくれ」なんて言われてホイホイと原稿依頼を受けてしまった私だが、もう初っ端から筆の手が止まっている。
そりゃあ、あらかじめ家を継ぐことを決められた人から見れば珍しく映るかもしれないが、そんなネタになるような面白い話なんて私は持ち合わせていないのだ。むしろ社家の方達が家を継ぐに至るまでの心情の推移などの話を聞かせてくれた方がよっぽど面白いと思うのは私だけか?定められた自分の運命と向き合う時間というものがきっと存在したであろうから。
 まあそんな愚痴を言っても始まらないので話すだけ話してみましょうか。
 私の家は極々普通のサラリーマンの家庭で、ざっと見渡したところ親族にも神職をやっている人間はいない。神棚はあるが奉っているのは神仏混合、お札やお守り、経文など何でも有りだ。神社への参拝も初詣の時位で特に崇敬をしている神様もいなかった。しかしそれでも毎朝神棚に米塩水を供え、拝んでいる親の姿を見続けてきたことは私に大きな影響を与えていたであろうことは確実だと思う。
 少年時代、父親の田舎に帰省したある時、何気なく祖母に神棚にお供え物をあげる事の意味を尋ねた事がある。朝に御飯をあげて夜に下げ、それを夕飯に食べているのを見て、そんな乾いた御飯を食べるより、炊きたてのものを食べた方がおいしいよと言ったのだ。神様だって一口も食べないんだからあげても無駄なんじゃないかと感じたからだ。
そんな私に祖母は「神様はね、お供え物の魂を召し上がったの。それは目に見えないものだから見た目は変わらないけどもね。婆ちゃんはそのお下がりを頂いているの」と諭してくれた。
祖母にとっては何気ない一言であっただろうこの言葉は幼かった私の心に深く刻み込まれ、現在の自分の価値観念になっている。だから外祭時に子供に意味を聞かれた時も、この様に答えるようにしている。
 こうやって思い返してみると、神様と縁はないと思っていた私の家庭環境も少なからず繋がりを持ちながら過ごしてきたということが改めて理解できた。お参りまではしなかったけれども、小さいときから私は神社の境内の雰囲気が好きで、学校帰りに近所の無人のお宮に行って時間を過ごすことが多かったのもその所為なのだろう。しかしこの時は将来、自分が神職になろうとは露程も思っていなかったし、第一将来を考える事すらしていなかった筈だ。
 大人になり他の人よりも回り道をしながら社会に出た私は、まだ自分の進路を決めかねていた時があった。ここで人生の分岐を違っていたならば、私は今頃プログラマーか自動車整備士になっていただろう。
そんなある時、地元の神社で遷座祭が執り行なわれる噂を聞き付け、滅多にない事と意気込んで見に行ったのだ。普段は閑散としている境内には人がごった返し、どこから聞き付けたのか屋台まで出ている始末。そんな中遷座祭が始まった。
 夜の帳の落ちた中、篝火がパチパチと燃え参道を照らしている。それらが消され、真っ暗になった空間を少しずつ神職の列が進み行く。御霊代を乗せた御羽車が絹垣越しに、この場で唯一の仄かな明かりを漏らしながら新しくなった本殿へと入っていった。幻想的な雰囲気が残る中、篝火が再び灯され、私は現世に戻された印象を受けた。
それらは厳かな、私にとって生まれて初めて神様を身近に感じた一時であった。
全てが終わり人もまばらになった中、私はこの場から離れてしまうのがとても惜しくなり、ずっと神様の入っていった本殿の奥を見つめていたところを声を掛けられたのだ。
 その方は今まで奉仕していた神職の方で、お疲れの所済まないとは思ったが私は色々な話をうかがい、この時に社家以外の人間でも神職になれることを教えて頂き、そして一念発起した私は遅まきながらも國學院に入り神職になった。
 長々と書いてしまったが、要は神様への憧れが一番の動機となるのであろう。端からみれば突発的に映るのかもしれないが、私はこの道に進めた事を誇りに思っているし、この時の神職の方を始め、助力頂いた人達に、そして導いてくれた神様に感謝をしている。理想と現実、食い違うところはあるけれどもこれからも頑張っていきたい。

平成21年8月15日 



 

ページトップへ

Information

  • 青森県神道青年会とは

 

Copyright (C) NaturalTmpl009 All Rights Reserved.
inserted by FC2 system